セラピストのヒプノ体験談
以前から時々、周りの人達やクライアントさまから「どうしてヒプノセラピストになったの?」と聞かれることがありまして、ヒプノセラピーとの出会い、私のヒプノ体験談を改めて振り返り書き留めています。ご興味のある方はご覧ください(^^)/
ヒプノセラピーにご興味のある方、セッションを受けようか迷っている方の参考になれば、と思って、出来る限り詳しく書いています。長文な内容もあるのでご自由に読み飛ばしてくださいね!
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「若年性アルツハイマー病」はじめて耳にした言葉でした。
よくわからないまま、帰宅後、どういう病気なのかな?とネットで調べてみると「早くて1年、遅くても3~4年で寝たきりの生活になる。記憶が失われていき、人格が変化していく。家族の顔や名前も分からなくなる」
(※当時はまだ若年性アルツハイマー病に関する情報が乏しく、たまたま私が最初に目にした記事には極端なことが書かれていました)
強い衝撃を受け、病気のことを調べれば調べるほど先のことが不安になり、恐ろしくなる一方でした。私は父の病気が受け入れられませんでした。
・父が私たちのことを忘れてしまう日が来るのが怖い
・どうして、苦労してきた父がこんな病気にならなきゃいけないのか?
・この先、私たち家族はどうしていけばいいんだろう?どうなっていくんだろう?
・どうして、人生は辛いことばかり起きるんだろう?
・平凡な幸せが望みなのに、どうして手に入らないんだろう?
・本当に神様がいるのならその理由を教えてほしい
いくら考えても答えは見つからず、解決法も手段も見つからない毎日を過ごす中で、”今の苦しい心の状態から抜け出したい” ”少しでも気持ちが楽になりたい” ”何でもいいから前向きになれるヒント・きっかけがほしい” 徐々にそう思うようになっていきました。
そんなとき、20代前半の頃に深夜番組でたまたま見た前世療法についての放送のことをふっと思い出しました。当時その放送を見た私は、自分の前世にとても強い興味を抱き、いつか機会が訪れたら受けたいな~と思っていました。
私の前世ってどんなのだろう?
”もし前世が本当にあるのだとしたら、私は前世で家族を捨てたのかな? ” ”病気の親の面倒を最後までみなかったのかな?” ”とんでもない親不孝をしたのかな?” ”だから今世は父親の看病を最後までみることが私の役目なのかな?”
今こうして振り返ってみると、単純で乏しい想像力でお恥ずかしいのですが、真剣にそう思い込んでいたんです!(笑)
そして、前世での父との関係を知ることができたら少しは楽になれるかも!この現実を受け入れられるようになるかも。前世療法受けたい!そんな気持ちが沸いてきました。
当時、地元の香川県では女性セラピストさんでヒプノセラピーをしている所がなくて、おとなりの愛媛県でヒプノセラピーをしていた、なかしまみちさんのホームページに辿り着きました。
何度も何度もホームページに目を通しました。先にヒプノを受けられた方々のセッション体験談を読んでるうちに、ますます興味もわいてきました。
だけど、すぐには決断できず、ホームページに書かれているセッションの予約可能日を毎日のようにチェックしてみては「どうしよう~、どうしよう~」と迷っていました(笑)
でも、もう限界でした。迷いに迷ったあげく思いっきりの勇気をだして、前世療法を受けに行くことにしたのです。
そして、セッション当日。事前カウンセリングで、父の話をしながら、ボロボロ泣いてしまっている私の話を、みちさんは静かに聞いてくださいました。家族以外で、父の病気のことを話したのは初めてでした。
その後は、リクライニングチェアにゆったりと座り、まずは身体の各部分をリラックスしていくことからスタート。さらには、心地のよい場所をイメージしながら、いよいよ前世の世界へ。
だけども、前世の世界への扉をあけてみても・・・何も見えてこない、浮かんでこない。ただただ真っ白なだけ。何もわからない(汗)
みちさんの質問に対して「うーん・・・」「うーん・・・・・」「わかりません・・・」 と答えてばかりの私。
以前TVで私が見たのでは、まるで前世の人物そのものが勝手に言葉を喋っている感じだったんだけどなぁ、なんか思っていた感じと違う・・・と、内心思いつつ(*_*)
なんで見えないんだろう、せっかく来たのにどうしよう、私には無理なのかなぁ、と不安と焦りと諦めが芽生えながらも、みちさんからの質問に半分無理やり、自分でイメージを作り上げて適当に答えていきました。
「よく分からないけど・・・、足元は・・・かたいかもしれないです・・・。石かもしれないけど・・・でも分からない・・・」って感じです ^^;
でも、そうやって(適当に)答えていくうちに、少しずつイメージが浮かんできやすくなっていきました。
そんな私のはじめての前世療法。
父の病気のこと、父と私の関係について知りたかったので、私の前世には当然、父の存在がでてくるものだと思っていました。
だけど、私が感じた前世は、自分で想像していたものとは全く違うものだったのです。
“さみしい・・・” すぐにそんな気持ちが沸いてきました。
私は7~8才くらいの少女のようです。ボロボロの薄汚れた布を1枚、上からストーンとかぶっているだけで他には何も身に付けていません。質素で貧しい姿です。髪は長く、無造作に2つに結んでいます。
おなかが空いています。寂しすぎて泣いてしまいそうな気持ちを、グッとこらえています。でも寂しいのは当たり前。どこか、あきらめているような感じです。
気づいた頃から、ずっと1人ぼっちで両親の顔さえ知りません。帰る家も、行くあてもなく・・・その頃の私は、道端や路地裏の残飯をあさって飢えをしのいでました。
セラピストさんの誘導で15~16才くらいに時間が進められた頃、1人の男性を出会い一緒に暮らし始めました。似たような境遇だった2人は貧しいけれど幸せな生活を送っていました。でもその幸せもつかの間で数年後、彼はいなくなってしまいました。
その後、60才過ぎた頃に私は1人、家の中で静かに息を引き取りました。
彼がいなくなってからは、彼と一緒に過ごした幸せだった時間を懐かしく思い出しながら、暮らしていました。周囲の人達と積極的に関わろうとせず、“幸せだった思い出” だけを心の支えに生きて、その60年余りの人生を終えました。
その人生を終えて気づいたことは、孤独で寂しい人生だった・・、もっと人と関わって生きたらよかった。ということ。それをしなかった事に対しての後悔で、涙が自然とあふれてきました。
孤児だった前世の自分から、今の私へのメッセージは
「親がいて、心配してくれたり、心配してあげたり、面倒みてくれたり、面倒みてあげたり、心からそうしたいと思える相手が、この世に存在しているだけで幸せじゃない。孤児だった自分は親の存在を知らず、人と深く関わらずに生きた自分には誰かを心配したくても、そう思える相手が存在していなかった。誰かを心配できるということは、すごく幸せなこと。
もし次にまた生まれるとしたら、今度は子供を大事に思ってくれる親の元に生まれていきたい。
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セラピーが終わったあと、真っ先に思ったのは、前世の自分の望みどおりに今世の父親を選んで生まれてきたんだということ。孤児だった前世の自分の思い、“誰かを心配できるということは、すごく幸せなこと”
私は今まで、そんな風に思ったことがありませんでした。その言葉は、父の病気を受け入れられなかった私の心の持ち方を変えてくれる、大切な気づきとなりました。
だけど、この気づき。何かの本で読んで理解したり、誰かに言われたりしたのではきっと納得できなかったと思います。
前世の自分の人生、その思いを私自身が心で感じたからこそ、その言葉はとても深く、かけがえのないものとなりました。
前世療法を受けたことで、どんより重かった私の心が、スーッと軽く楽になっていきました。
前世の自分からのメッセージを受け取ったあと、魂の存在となった私は、空にのぼっていきました。空高くのぼっていくと、自分が空間と一体化するような不思議な感覚を感じました。そして、セラピストさんの誘導でハイアーセルフのもとへ。
が、しかしハイアーセルフには会えず(+_+)
会えなかったというよりは・・・“雲の上の空間そのもの”がハイアーセルフかなぁ???と一瞬、思ったものの、まさかそんなはずはない!!と自分で完全否定してしまったから。(※当時の私は顕在意識が強く、自分の感覚を否定しがちでした 汗)
セッション終了後、自宅に帰ってから振り返って、やっぱり、あれがハイアーセルフだったのかも~!あのとき言っておけばよかったなぁ~と反省しました。
ですがハイアーセルフには会えなかったけど、前世の自分から本当に貴重なメッセージをもらったので今回は、ハイアーセルフに会う必要がなかったのかもしれません(^^)
前世が本物でも、そうでなくてもどちらにしても、自分の心の奥底(潜在意識)にあるものが表面に浮かんできたのは事実なのだから。数ある前世の物語の中から、自分の潜在意識がその1つを選んだのだから。自分が思ったこと、感じたこと、そこから得た気づき、それが大切で、“全ての答えは自分の中にある” この言葉の意味が分かりました。
前世療法を受けて本当によかった(^^)
自分1人では、答えがみつからないとき、苦しいとき、辛いとき、前向きに考えられないとき、その状況を抜け出すきっかけやヒントがほしいときには、自分の中にある答えを探していけばいいんだと気づくことができて、とても心強く安心した気持ちになれました。
そして、またいつの日か、ヒプノセラピーを受けにいきたいな~って思いました。
次にまたいつかヒプノセラピーを受けるときに、大切なポイントは、セラピー中は色々思うことがあるけど、なるべく余計なことは考えずに、自分であれこれ判断せずに、思ったまま、感じたまま、できるだけ素直に伝えよう!そうしたら、イメージが浮かびやすくなってきて、もっといろんなことが分かってくると思うはず!とメモしました。
このときの私はまだ、まさかまさか、未来の自分がヒプノセラピストになるなんて夢にも思っていませんでした。
一度ヒプノを体験したからかな? 今回は、みえてくる映像や人物の感情、身体で感じる感覚などいろいろな感覚を感じることができました(^^)/
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前世へと続く扉を開けて、さらに真っ暗なトンネルの中を進んでいきました。トンネルから外に抜け出ると・・・まぶしい!!まぶしくて何も見えない!!!
暗闇から突然、明るい場所に出たので、まぶしくて目があけられません。セラピストさんが「少しずつ目がなれてきますよ~」と言葉をかけてくれました。
すると、その言葉通り、次第に目がなれてきて周囲の様子が分かってきました。
そこは、青い海の見える港町。場所は、“地中海” という言葉が、なんとなく浮かんできました。港には小さな船がたくさん止めてあります。夕暮れ時で、地平線の彼方に沈みかけている太陽がとても美しいです。私は、港に誰かを迎えに来ているようです。すると、一隻の船から1人の男性が姿を現しました。彼は私の顔を見るなりニコッと笑っています。私も微笑んでいます。若い夫婦のようです。
私はブロンズの長い髪、ブルーの瞳に白い肌で年齢は16才くらいです。夫は漁師で体格がよく浅黒い肌、髪の毛はクルクルの天然パーマ、20才くらいです。
今日は約1ヵ月ぶりに、夫が海から帰ってくる日で私は港まで迎えに来ていました。港から家までは近く、美しい夕日を眺めながら仲良く家に帰りました。
家に帰ると私は夫が獲ってきた魚を早速、調理し始めます。「疲れて帰ってきてるから早く作らなきゃ!」と夫を大切に思っている気持ちが込み上げてきます。
ここで、セラピストさんが「今から数を3つ数えますよ~、ご主人の中に入ってみましょう。するとご主人の気持ちがよく分かりますよ~1,2,3・・・」と言いました。
私は心の中で、えええ???中に入るってどういうこと?本当に相手の気持ちがわかるの~?と半信半疑。でも不思議。本当に分かっちゃうんです!
セラピストさんは(夫の中に入っている私に)「奥さんのこと、どう思ってますか?」と質問してきました。
すると、「いつも魚をさばいてくれて自分を想ってくれている、大事にしたい」言葉が不思議とスラスラと出てきます。(これまたびっくりです!)
時間は進み、25~26才になったある日の夜、大嵐がやってきました。雨風がとても強く、港は大荒れ、今にも海の水があふれてきそうです。
夫は漁師の仲間たちのところへ、これからどうするか、相談しに行っています。私は小さな家で1人、夫の帰りをじっと待っています。
外からは、強い雨と風の音が聞こえてきます。天井に吊るしている小さな電球がかすかな音を立てながら、揺れています。
そしてとうとう、海水が家の中にも入ってきました。ひんやり冷たい水の感覚が、足首から伝わってきます。水の量はどんどん増していきます。家がくずれてしまう・・・
と、そのとき夫があわてて帰ってきて、私たちは外へ逃げ出しました。必死に逃げるけれど水の流れは早く、もうどうしようもない状態で、水かさはどんどん増していき腰のあたりまで水が浸かってきます。
疲れ果てた私たちは倒れていた大きな木につかまり、そのまま少し休みました。
どれくらいの時間が過ぎたか・・・気がつくと夜が明けて、薄明るくなってきました。周りを見渡してみると、激しい水の流れに全てが流されていました。
家は流され、人も流され、町の姿も消え、食料もない、何もない・・・。仮に生き延びたとしても、この先どうやって生きていけばいいんだろう。
もう、このまま死ぬのかな・・・。そのまま、私は洪水に流されてその人生を終えました。
魂の存在となった私に、セラピストさんは「あなたの人生は、どんな人生でしたか?」と質問しました。“とても幸せな人生だった”と言葉がスッと出てきました。
ただ、1つの心残り。それは大切な人達には、態度だけではなく言葉で思いを伝えること。いつでも伝えられると思って後回しにしていた。こんな風に突然終わるとは思わなかったから。
こらえきれず、涙がボロボロとこぼれてきました。(人間として生きていたときには思ってなかったことが、魂の存在になるとその視点が変わってきます)
この前世での学びは、”言葉は勇気を出して伝えるもの” でした。
前世の自分の心残りを、同じことを繰り返さないようにと潜在意識が私にみせてくれたのでしょう。
私がヒプノセラピーってすごい!て思うことの1つとして、セラピー後には自分が意識してなくても、頑張ろうって努力しなくても、無意識に良い変化を促してくれるということ。
前世の自分から受け取った気づきや学びは、今の私にしっかりと生かされています(^^)
魂の存在となった私は、セラピストさんの誘導で空に昇っていき、ハイアーセルフ(マスター)に会いにいきました。すると、両サイドからニンゲンに似た姿をした人達が4~5人くらい、拍手しながら私を出迎えてくれました。(←ごく親しいソウルメイト達のようです)その人達は、私をマスターの元へ連れていってくれました。
音もない、何もない、静寂が広がる空間。そこに、大きな大きな物体が目の前に現れました。
それは、赤い太陽と黒い太陽が混ざっているような、大きくて、丸くて、赤黒い物体です。威厳があって、寛容で、でも少し怖い雰囲気。その存在はただ、そこにいるだけで、何か言葉を発するわけでもなく、私は少しの間、静かにその瞬間を感じていました。
宇宙の静かな音が響いてきます。とても心地よくて安心します。時間も無く、何もなく、絶対的な安心感。ただそこに在るだけで全てが深く満たされていて、それはこれまで味わったことのない不思議な感覚でした。
マスターは1つの人生を終えて戻ってきた私に「かわいい子供」「たくさんいる子供たちの1人が、旅からやっと帰ってきた」と言いました。
そのとき同時に、たくさんの小さな丸い玉が、空から地上に向かってパーッと、舞い降りていく映像をみせてくれて、「これから旅に出ていく、大切な大切な子供たちだよ」と教えてくれました。
キラキラ輝く、透明なガラス玉のようでした。
最後にマスターから今の私へのメッセージを受け取りました。いつも笑顔でいればいい。いつも見守っている。たくさんの経験を積んでまた戻ってきてほしい。
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このセラピーの後は、脱力感がすごくて数日くらいボーっと放心状態でした。
魂ってなに? 赤黒い太陽のあの存在はなに?だれ? どうすればまた会える?
絶対的な安心感に深く満たされた私は、もう一度あの感覚を味わいたい!と思いました。
そのためにはどうしたらいいか? 私が出した答えはヒプノセラピーを学んでみる。でした(^^)
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前世の世界へ誘導が始まった頃から、小高い丘の上に建つ大きなお屋敷のイメージが浮かんできました。しかし、最初に足をつけたその場所は、石畳でできた街中の広場でした。
私は、8~9才くらいの男の子です。家は居心地が悪くて、1人で町に出てきて時間を持て余しています。家にいたくない。。。
(セラピストさんの誘導で、家に戻ります)
名前はチャールズ。大きなお屋敷に住んでいて、家の跡継ぎとして育てられています。長いテーブルの一番向こうに父が座っています。威厳のある顔つきで、冷たい表情をしています。
父の側には、意地悪な顔をした3人のおばさんが並んで座っています。その中でも一番年上のおばさんが、すごい形相で私を睨みつけています。私に対する強い憎悪が伝わってきます。(今世のAの姿と重なりました)
このおばさん達は父の奥さんたち。子供もたくさんいるようです。正妻であった私の母は私が幼い頃にいなくなりました。父は、家庭や子供達については関心がないけれど、父にとって私は自分の後を継ぐ子供なので必要な存在のようです。そのせいで、まだ幼かった私はおばさん達から嫉妬や嫌がらせを受け、大人のドロドロした感情に傷つき、孤独で寂しい人間に育っていきました。
年月が流れて、成人になった私は結婚しました。妻は心の優しい、穏やかな人です。私のことをよく理解してくれて、懸命に尽くしてくれます。
年老いた父から、地位と財産を受け継いだ私は長い間、家に居座っていたおばさん達を、この屋敷から追い出すことができました。
これでやっと幸せになれる!ずっと望んでいた幸せな生活、心休まる穏やかな日々が訪れる!と思いました。しかし、ようやく手に入れたはずの幸せな暮らしの中で、私は自分を虐めた叔母達のことばかりを思い出して苦しむようになっていました。幾度となく込み上げてくる怒り。自分の気持ちをコントロールできず怒りの感情から逃れられない。絶対に許せない。私は過去の出来事に囚われて、目の前にある幸せを感じることができなくなっていました。
自分の殻に閉じこもった私は、誰にも心を開くことができず、いつも寄り添ってくれていた妻との間にも、いつしか心の溝ができていきました。何のために生きてるんだろうか、ただ幸せになりたかっただけだったのに、と諦めの日々。長い年月が過ぎた頃には、年老いた夫婦はもう、ほとんど顔を合わせることもなくなっていました。
そして訪れた、人生最期のとき。ベッドで横になっている私のそばに息子がいます。
子供たちに愛情を注ぐことが出来なかったのに、息子だけは私のことをずっと慕ってくれていたようです。気づかなかった、気づいてやれなかった。ボロボロと涙があふれてきます。最後の最後に、人間の深い愛情を感じることができた。感謝している。ありがとうありがとう。
その思いを胸に抱きながら、その身体から離れていきました。
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魂の存在となり、終わった人生を振り返っていきます。
・この前世の人生から学んだこと
過去の出来事に囚われず、自分の幸せをつかむために人を憎む気持ちを、断ち切らなきゃいけなかった。それができなかった。人を憎む気持ちがあると、自分が幸せになれない。(自然とあふれてくる思いを言葉にしながら、今の私も同じだ、と思いました)
・前世の自分から今の私へのメッセージ
自分が乗り越えられなかった問題を、今度こそ乗り越えてほしい。そのために、また同じ環境を選んできたのだから。
・マスターからのメッセージ
過去のことばかりに目を向けちゃいけない。やられたことは辛かっただろうけど、でもそこばかりにこだわらず、前に目を向けていかなきゃいけない。自分の意識を前に向けなさい。
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ヒプノを受けた直後の私は、ヒプノに惹かれるその理由が知りたくて受けたのに、” どうしてこんな前世が出てきたんだろう” ”過去のことなんて別にどうでもいい(ふれたくない)”と納得できませんでした。
前世を知ったからといって、マスターの言葉を受け取ったからといって、すぐに受け入れられるものではありませんでした。ただ私の中に ”憎しみ” という感情があるということ。人を憎む気持ちが私の中にある。私は人を憎んでいる。自分の中にそんな感情があることに気づかされました。
ですが、この時に受けたヒプノセラピーの変化は、私の気づかないところで起きていました。私の意識とは別に、潜在意識下ではいろいろな変化が起こっていたのでしょう。このときのセラピーを機に、長年がんじがらめに絡まっていた固い紐が、ゆっくりと緩みはじめていったのです。
1年程が過ぎた頃のある日、まるでその瞬間が訪れるのを待っていたかのように、ある偶然(必然)の出来事が起こり、約20年間ずっと囚われてきた私の憎しみの感情(カルマ)は、最後は、たった一言の些細な会話で自然に解けていきました。(この時の前世をみてなければ、解放できなかったと思います)
恐るべし潜在意識。潜在意識はこの瞬間がいずれ訪れることを知っていたのかな?ちゃんと分かってて布石を打ってくれてたのかも。
だからこそ、このときのセラピーで潜在意識は私が知りたいことではなく、私にとって最も必要なことを感じさせてくれてたのです。(ヒプノすごすぎる!)
私が自分らしく、自分の人生を進んでいくために、まず必要だったこと、それは、心の奥底にある憎しみの感情と向き合っていくことだったのです。
このときのヒプノも、前回と同様に私に大きな影響と変化を与えてくれた大切なものになりました。
ヒプノセラピーの素晴らしさが伝われば幸いです(^^)/
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浮かんできたイメージは、子供の頃に通っていた小学校の運動場。小学1年生くらいかな。休日の夕方で誰もいない、シーーンと静まり返った広い運動場をイチョウの木の下から、眺めているところ。
小さな私から見ると、誰もいない小学校の運動場はとても広くて、解放感があふれていて、私はこの場所、この時間がとても好き。
すごく落ち着く~。(懐かしい感覚が込み上げてきました)
そして、小学校から家への帰り道、道端で立ち止まって影踏みして遊んだり、わざわざ田んぼと田んぼの間の細道を通ったり、ちょっと遠回りして、神社や公園に立ち寄ったりしてとにかく、なかなか家に帰らない(笑)
1年生になった私は、1人であっちこっち動き回れることがうれしくてたのしくて、しょうがない!
一通り歩き回った後は、近所に住んでいる、おばあちゃん家へ。畑でお花の手入れをしている、おばあちゃんの側に寄っていき、おばあちゃんとお話をしたり、おばあちゃんの愛情も感じてみたり。
と、それもつかの間で、またすぐに目移り(子供らしい 笑)
今度は、畑の裏にあるきれいな水路へ。そこは最近見つけた、私のお気に入りの場所。水路にある溝を、のぞき込むとおたまじゃくしがいっぱ~~い!大興奮!!
セラピストさんが 「それどうするの?」 と聞いてくれて思わず 「取る!取る!手で取る~!」 と私。たのしい!すごくたのしーい!!
小さいのとか、中くらいの大きさのは、いっぱい取れてるんだけど、大きいボスみたいなのが1匹いて、それがなかなか取れない~。逃げるの早い。
でもあきらめたくない!と苦戦しながら数十分。
と、とれたぁー!!やったー!こんな大きいの取れたのはじめて!うれしいー!!
たくさん取った、おたまじゃくし達はプラスチックの入れ物に入れて、その姿を眺めては、また喜び、楽しみ、これから大事に育てていく。
そして、いずれは立派なカエルになっていくことでしょう。
たのしい!うれしい!わくわく!そういえば、この感覚、いつの頃からか忘れてたなぁ~。
おたまじゃくしとの思い出は大好きなことを純粋に楽しむことに、わくわく好奇心と喜びを感じていた、子供の頃の自由な気持ち、その感覚を思い出せてくれました。
両手に何か持ってる。あ!ひまわりだ!
理科の授業で、苗を植えてずっと観察して育ててきた ひまわり。今日、先生が大きく成長したひまわりの鉢を、みんなに1つずつ分けてくれたんだ。
(嬉しさ、喜びが込み上げてきた)私のひまわりが、クラスで一番大きい!大きくて立派なひまわりに育った!早くお母さんに見せたい!
ウキウキしながら学校から帰宅。そしてお母さんの仕事場へ。ドアを開けると、机に向かって仕事をしているお母さん。お母さんは、私に気づいてなさそう。
ちょっと近づいてみる、でもまだ気づいてない。すぐ隣まで近寄る、だけどお母さんはこっちを見てくれない。お仕事してるから、声かけられない・・・と、立ち尽くす私
セラピストさんの誘導で、お母さんの気持ちを感じてみることに。
すると、「さっきから、そこのドアに立ってたの知ってたけど、わざと気づかないフリしてた。それなのに今度は横に来て立ってる。だからわざと気づかないフリして仕事してる」(急に母親の感情がこみ上げてくる。面倒くさい。子供に腹を立ててる気持ちが伝わってくる)
(セラピストさんがお母さんの思いを探っていくと)「子供産んだら感動するって聞いてたけど、思ったほども感動しなかった。私よりもおばあちゃんが大喜びしてる。私はいつもこの子の話ばかり聞かされてきた」
(さらに探ると)「おばあちゃんは私のことなんて気にしてない!心配してない!毎日この子の話ばかりでうんざり!」
(お母さんが、自分の母親に対して感じていた思い。癒されてなかったお母さんの気持ちを癒していくと)すると、癒されたお母さんは「この子は何も悪くないのに、ひどいことをしてきた。私だってこの子が可愛くないわけではない。謝って許されることではないけど、できることなら抱きしめてあげたい」
小さな私はお母さんに抱きしめられて、お母さんが、ひまわりを見て笑ってる姿を見て大満足。「お母さんが笑ってる~、すごくうれしい!」
小さな自分の望みとは “私が笑ったらお母さんも笑ってほしい” ただそれだけでした。望みが叶い、インナーチャイルドは癒されていきました。
大人の私が小さな自分に話かけると、ひまわりを見せてきて褒めてほしそうにしてる(笑)「大きくて立派なひまわりだね~。茎も太くて、大きな種つけて、きれいな色してるね~」と声をかけると、その子は目をキラキラ輝かせながら、私の言葉を聞いてる。
”ひまわり” をいっぱい褒めてもらって、満足した小さな自分は、両手に大きなひまわりを抱えたまま、大人の私の胸の中へ戻っていきました。
ひまわりを抱えた、私のインナーチャイルドは、今もあのときの笑顔のまま、私の胸の中で生き続けています♪
しばらく歩いていくと、前方に古びた石の階段が見えてきました。急な石段で頂上は高くて、ここからはよく見えません。長い階段をひたすら登っていきます。
頂上に辿り着くと、そこには寺院がありました。大きな門があり、扉は開いています。中に入っていきます。
広い敷地の中には、石像のようなものがあちこちに置いてあります。おうど色の衣を、まとっている人達が何人か並んで歩いていきます。
坊主頭で、みんな同じ格好僧侶?
そこで、自分の姿を確認してみると(いつの間にか)私も坊主頭で、おうど色の衣をまとっています。
私はキレ長の目をした細見の男性で、年は14~5才くらい、まだ若いです。ここで暮らしながら、修行をしています。
インドか、チベットのあたりかな。この寺院にやってきて、5~6年くらい。なんとなくそんな感じです。名前は「チュン・・・」「チュン・・・なんたら」
奥にある、本堂へ向かっていきます。建物の中に入ると、きらびやかで立派な大仏があります。すごい迫力に圧倒されます。合掌をして、僧坊(僧侶の住居)へ移動していきます。
部屋に入ると、ちょうど食事時で、15~20人くらい集まってきてます。同年代の仲間たち。 みんな、ここで共に暮らしています。私も自分の席に座り、食事をとります。
壁に、お釈迦様の絵画が飾られています。繊細に描かれていて、とても美しい。なぜか、涙が溢れてきます。とても落ち着く、神聖な気持ちになれる。私はこの絵画をとても気に入っていて、いつもこうして眺めていたようです。
そこに、同じ年頃の僧侶が1人やってきました。私の正面に座り、こっちをじーっと見ています。何なんだろう?何か言いたい事でもあるのかな?私も不思議そうに彼を見ます。
彼の気持ちを感じてみます。「もっと話がしたい、仲良くなりたい。だけど、いつも落ち着いていて物静かで、話かけられる雰囲気じゃない。だからずっと声をかけれずにいる」
その後、セラピストさんが「今のあなたの人生で重なる人はいますか?」と聞いてくれたとき、以前、同じ職場で働いていたTさんと姿が重なりました。
彼女とは、とても気が合って、いつも一緒に話をするのが楽しかった~!!今世でも、こうして出逢ってたんだ。出逢ってくれてありがとう。
ソウルメイトとの再会は、とてもうれしくて、とてもなつかしい。
“袖振り合うも他生の縁” 通りすがりに、袖が振れ合うくらいのほんのささやかな出会いであってもそれは前世からのご縁があってのこと。
出会う人たちに感謝しながら、共に過ごす時間を大切にしていきたいと思った、前世体験でした。
ヒプノセラピーを学んでいた頃、こんな私にヒプノセラピーをしていく資格があるのかな…と思い、私の中の足りないものを埋めたい、というテーマでみていった前世療法。本当は年令退行療法でみていく必要があるだろうな~と思ったけど当時の私は、このテーマで幼少期を思い出すことにまだ抵抗あったので。
——–
浮かんできたのは、古き日本の風景。江戸時代の末期、幕末の頃かな?
家の中のシーン。目の前にはお母さんが座っていて、隣にはお兄ちゃんが座っています。私は10才くらいの女の子。
お母さんが、ものすごい笑顔でこっちを見てる。(今世の母と目元がよく似ています)お兄ちゃんは、妹思いのやさしいお兄ちゃん。(今世での従兄と姿が重なりました)
私はお兄ちゃんのことは大好きだけど、母親に対しては、何の感情もわいてこない。心が凍っているよう。無関心。反対に母親のほうは、私にありったけの愛情を注いでくれていて、とても大切に育ててくれている。そんな関係のよう。
次に浮かんできたのは、お嫁に行く場面です。豪華な金屏風の前で、白無垢の花嫁衣裳を着て、これから、記念写真を撮ってもらうところです。もうすぐやってくる、旦那さまの到着を待っています。
写真を撮ってくれる技師さんが、目の前で準備をしています。
私は、とっても楽しみで、うきうき!わくわく!これで家を出られる。新しい生活が始まる、と未来への希望で胸いっぱい。近くには、兄がいてくれて優しく見守ってくれています。なぜか、母の姿は見えません。
だけど1時間経ち、2時間経ち、いつまで待っても旦那さまになる人は、来ません。うーん、こない。どうしたんだろう・・・?
そのまま時間が流れていきました。こない・・・、こなかった。ずーっと待ってるのに。来てくれるって信じてたのに。来てくれない。来てくれなかった。
どうやら、相手の家の事情か何かの理由で 母が縁談を破談にしたようでした。
私は、自らも望んでいた縁談だっただけに、気持ちを切り替えることができず、その後はさみしく、短い人生を終えていきました。
(魂の存在となり、人生を振り返っていきます)
・前世の人生から学んだこと
一途に人を信じることを学んだ。だけど今回は、母親との関係も、どうにかしなきゃいけなかった。それができなかった。
・マスターとの対話では、マスターに聞きたかったことを質問しました。
Q.今の母親との関係について
もう何度も何度も(転生の度に)お互いに憎み合ったり嫌いあったりしてきて、こんな関係を繰り返してきてる。もうそろそろ終わらせなさい。魂は成長し、もうそれができる時期に入ってきている。
あなたからはじめなさい。相手の全てをまるごと、笑顔で大きく包み込み、受け止めなさい。
Q.私の心の中の欠けているものについて
それは埋める必要ない。埋めることなんてできない。埋められないものがあるからこそ、分かることがある。できることがある。だからそのままでいい。その感性を大切にしなさい。人と同じになりたいと思わなくていい。
光を知るためには、闇をみることが必要なように、愛を知るために、憎しみや無関心を知る必要があるんだよ。
——–
・ヒプノ後の変化、気づき
子どもの頃いつも思っていた、”私は欠陥人間なんだ”という思い。久しぶりに思い出しました。
セッションの後、しばらくは自分の心の深いところで、いろんな感情、感覚がぐるぐると混ざり合っているようでした。(いつものことだけど、数日間はボーーっとしていたと思います)
あのとき、マスターから受け取ったメッセージは私の心の奥深いところに浸透してきました。私は欠陥人間じゃなかったんだ、欠けていていいんだ、このままでいいんだ、このままの方がいいんだ、”欠けていて完全だったんだ”
ありのままの自分の一面を受け入れたら、どこからともなく自信がわいてきました。
これまでマイナスだと思っていたものが、プラスに転じていくような、そんな感覚を味わっていました。
どうしてこんなにもヒプノセラピーに惹かれるんだろう?今一度、その理由を前世療法で探ってみることにしました。(以前にも一度同じテーマで前世を見ていきましたが他のものがでてきたので^^;)
結果として、今回もその理由はわからなかったのだけど、自分の人生を生きていくことの大切さに気づかせてくれた前世でした。
——–
足元がふわふわしてる、白い雲の上にいる感じ。何もない空間。そこでただ、ぼーーっとしてる。(中間世におりたのかな?)
(セラピストさんの誘導で、中間世の前の人生に戻りました)
ヨーロッパの田舎。のどかで平和で、自然が豊かなところです。私は3~4才くらいの女の子。今日は、お父さんが帰ってきてる!大好きなお父さん!お父さんがいるとうれしくて、はしゃいでいます。(今世の父と重なります)
お父さんは、いつも仕事で都会に行ってて、あまり帰ってこれないから本当はさみしい。でもおじさん(お父さんの弟)が、いつも一緒にいてくれるから、こわくない。大丈夫。(おじさんは今世の元旦那さん)
母親は、早くに病気で亡くなったみたいで、たまに帰ってくるお父さんと、おじさんと3人で幸せに暮らしていました。
それから数年経った頃、お父さんは、あまり家に帰ってこなくなりました。都会に行ったまま、何かあったのかな?私のこと忘れてしまったのかな?
おじさんは一緒にいてくれてるから安心だけど、でもお父さんに会いたい。
そのままお父さんは帰ってこないまま、時が過ぎていきました。
そして15~16才になった頃、私はベッドで横になっています。身体は弱っていて、食事を取らないため衰弱しています。自分で「死」を選ぼうとしているようです。
父はもう帰ってこない。だけどもういい。この人生は、お父さんとおじさんに会うための人生だったのだから。だから2人に会えてよかった。もう満足。ありがとう。
その短い人生を自ら選んで終えていきました。そして最初に出てきた白い雲の上のシーン、中間世に戻っていきました。中間世では、終わったばかりの人生を振り返っていきますが前世の自分は、何も感じていないようでぼーっとしています。
そこで、今の私が感じたこと「つまらない人生を送ったんだね・・」と前世の自分に伝えました。
すると突然、前世の自分から、後悔や罪悪感の気持ちが芽生えてきました。とんでもないことをしてしまった。お父さんとおじさんに会うことだけが目的だと思い込み、自分で意味のない、つまらない人生にしてしまった。(魂の戻ったときって、本当に純粋で深く猛省します)
潜在意識は今の私に何を伝えたいのか?マスターとの対話で、今回の前世の意味を聞いてみました。
・マスターとの対話
Q.今回もまたヒプノセラピーが大好きな理由ではなく、この前世を見せたのはなぜでしょう?
自分の人生を歩んでいくという、強い意思を持たせるため。
そのために今、気づかなければならないこと、それを先に見せたかった。この前世を見てなにか感じることがあるでしょう?
誰かのためではなく、誰かに頼るのでもなく、自分の生きがいを見つけて、自分の為の人生を生きていってほしい。
——–
・ヒプノ後の変化、気づき
マスターの言葉に納得でした。当時の私は、ヒプノセラピーに興味を持って学んでいるとはいえ、ヒプノセラピストを目指していたわけではありませんでした。
ヒプノは、私が夢中になれる唯一無二の宝物だけれど、趣味にとどめておかなければいけない。これまで苦労をかけてきた病気の父のため、旦那さんのために生きていくこと、それが私の生きる意味であり、人生の目的だと思いこんでいたからです。
ですが、前世の自分から伝わってきた後悔の気持ちや、マスターから受け取った言葉は見事に、私が囚われていた思い込みから解放してくれました。(ほんとヒプノって!潜在意識ってすごい!)
この前世が本当の前世だったのか?それとも、私の心象風景として映し出されたものなのか?(後で振り返ると、ちょっと自分で作った感じがあったかな^^;)
だけど、そこにこだわる必要はないのでしょう。潜在意識はそのときの私に一番必要なことを見せて感じさせてくれたのだから。
ヒプノセラピーに惹かれる理由は、またいつかのお楽しみに取っておきます!(^^)/
知れば知るほど奥深い無意識の世界、ヒプノセラピーの癒しと気づきの世界に私の探究心は、とてつもなく刺激されます。魂が喜んでいる感覚。
ヒプノセラピーは、スピリチュアルな部分もありつつ、地に足が着いてる心理療法で
私はこのバランスがとても好き。もっと学びたい!体験したい!知りたいことがいっぱい!!
だけど、そもそも、どうしてこんなにも私はヒプノセラピーに惹かれるんだろう?どうしてヒプノセラピーなんだろう?
これまで何度か前世療法でみてきたけど、出てこなかった。だけど、やっぱり知りたい!ということで再びチャレンジ!練習セッションで、その理由を探ってみることにしました。さてさて結果は(^^)/
——–
小高い丘の上から町を見下ろしながら、何かを考えています。何を考え込んでるのかな?
男性です。30~40代くらい。骨格がしっかりしていて体格がいいです。一枚の白っぽい布を、体に巻き付けています。肩のところだけ少し肌が出ています。
後ろには、大きな神殿があります。古代ギリシアかな?ここは1つのポリス(都市国家)のようです。私はいつもこの場所に座り、町を見渡しながらよく考えています。
どうすれば、世の中がよくなるのか?なぜ争いが起きるのか?同じ仲間たち同士で争いが絶えないのはなぜか?どうにかして1つにまとまることはできないのか?みんな根本は同じ気持ちなのに?どうすれば、みんなで手を取り合うことができるのか?
理想的な国家をつくっていくことに貢献すること、そこに自分のエネルギーを注ぐことが、私のなすべきこと。
町には、妻や子どもが暮らしていますが、家族と一緒に過ごすことはあまりなく、ほとんどの時間は、神殿や広場で仲間たちと意見を交わし合い過ごしています。思考することを、とても楽しんでいるようです。
50代くらいになった頃、やはり変わらずに、お気に入りの場所から町を眺めて思考を巡らせています。だけど、考えている内容が昔とは違います。
死後の世界、魂の世界について。天上界はどんなところだろう?どんな仕組みになっているのだろう?新しい世界があるはずだ! 早く行ってみたい! 自分の目で直接、確認したい!
色々な書物を読み調べながら、知恵のある人の教えを受けて学びながら、毎日を過ごしています。死後の世界に強く憧れています。
そして人生最期のとき。
神殿のような場所で、静かに横になり目を閉じて、その瞬間が訪れるのを待っています。建物の隙間から、太陽の明るい光が差し込んでいます。私は満面の笑みを浮かべています。気持ちが高ぶり興奮しています。
やっとこの時がきた!!!どれだけ待ちわびていたことか。天上界について、これまで多くの人から話を聞き、書物から学び、あれこれ想像してきたけどやはりよく分からなかった。
これでようやく自分の目で確認することができる!今日が人生最高の日だ!不思議なくらい喜びに満ちた感覚で「死」を体験しました。
(この時は練習セッションだったのでここで終了しましたが、この続きがみたかったな~)
——–
前世の自分は死んだら新しい世界、次の世界が待っているんだと完全に信じていて、新しいの世界への憧れ、その感情、感覚がリアルに感じられました。この世に対する未練が全くなく、新しい世界への旅立ちを心から待ちわびている様子でした。
前世の自分の人生について。
人生の前半は、人間について、心について、平和について。
後半は、魂について、天上界について、深く探究し続けた人生でした。
このときの前世が、魂の記憶として刻まれ、今の私にも受け継がれている。
どうして私が、ヒプノセラピーに強く惹かれているのか?その理由が少しわかったような気がしました。
——–
誰もいない運動場で、太陽が沈んでいくのをぼーっと見ている。何も考えたくない、考えていない。でも外が暗くなってきたから、そろそろ家に帰らなきゃいけない。帰りたくない・・。
家に帰ると、そのまま台所へ。はぁぁ・・・、ごはん作るのめんどくさい。今日は何を食べようか。買い物にも行かなきゃいけない。
“ハムとトマト” にしよう。そのまま食べられるし、簡単だから。
毎日自分で、簡単なごはんを作って1人で食べてる。味はわからない。ただ食べてるだけ。
四国に引っ越してきて、最初の頃は、お父さんの仕事がまだ忙しくなかったから、お父さんがごはん炊いてくれてた。でも、お父さんの仕事が忙しくなってきたら、親戚の大人たち、おじさんやおばさんも、みんなが口をそろえて言う。
「おまえは女の子だから、お姉ちゃんだから、お母さんがいないんだから」「おまえが、お母さんのかわりをするのは当たり前」
“お母さんがいないのは当たり前じゃないのに、なんで私が家のことをするのは当たり前なの?”
そんな私の言葉は、誰も聞いてくれない。口答えする私は悪い子扱い。大人は自分たちの勝手な都合ばかり押し付けてくる。ああもう、うんざり!大人なんてみんな敵だ、大嫌い!!
私はお手伝いさんじゃない!毎日毎日、家事や洗濯ばかり、もうやりたくない!誰でもいいから、ごはんを作ってほしい・・・
これまで蓋をしていた感情があふれてきます。(感情が抑えきれなくなってきて、自分でもびっくり)
ああ、そうだった。大人の私もすっかり忘れていた。口を開けば攻撃される、批判されると思っていた小さな自分。これ以上傷つきたくなくて、自分を守るために目も耳も口も閉ざしてしまってたんだ。もう何も感じたくないんだよね。
大人はみんな敵だと思っている小さな自分は、大人の私に対しても強く警戒している。この子が心を開いてくれるには、まだ少し時間が必要かもしれない。
大人の私が、今してあげられること・・・。今はせめて、あたたかい手料理を食べさせてあげたい。私が何でも好きなものを作ってあげる。
ポテトサラダ、からあげ、たまご焼き、スパゲティ、ハンバーグ、煮物、照り焼き、栄養のバランスも考えて、彩りも鮮やかに。生野菜もとらなきゃね。そうそう、大好物のオムライスもね。
すると小さな自分が、やっと口を開いた。「私のためにつくってくれたの?」 信じられないみたいで、何度も何度も聞いてくる。「本当に私のために作ってくれたの?」
「あなたのために作ったんだよ」と答えてあげると、瞳がキラキラ輝きだして、うれしそうに食べはじめた。
おなかの空腹も、こころの空腹も満たされた小さな自分。愛情がこもった手料理をおなかいっぱい食べて、気が抜けた表情してる。さっきまでの冷めた顔とはちがう。子どもらしい表情。大きくふくらんだお腹をさすってて、ちょっと苦しそう(笑)
今は、その子が安心していられる場所へ戻してあげることに。また会いにくるからね。
——–
・振り返り、ヒプノ後の変化
大人になってからも、ずっと手料理に対するこだわりが強かった私。今振り返ると異常なくらいに執着していて、しんどかったな~と思います。(例えば、夜11時に疲れて帰宅しても、ご飯炊いて、みそ汁作らなきゃ気が済まないって感じ^^;)
仕事で疲れてるときや、時間がないとき、めんどくさいとき(笑)は、スーパーのお弁当や外食もありだと、今ならそう思うのだけど、当時の私は、どんなに疲れてても時間がなくても自分で料理をつくっていました。手料理じゃないと食べた気がしなかった。満たされなかったんです。
ですが、このときのセッション以降、手料理に対する執着がすっかりと弱まって楽になってきました。そのときの状況に合わせて、自分で選択できるようになりました!(^^)/
ヒプノの練習セッションで、何かテーマを考えていて思いついたもの。
なので、そんなに思い悩んでたわけではなかったけど、もし何か原因あるなら知りたいな~という軽い気持ちで受けてみました。
戻ったところは、母親のおなかの中、胎児期のの記憶でした。
——–
すごくドキドキしてる、手に汗かいてる。足がちっちゃくて浮いてる感じ。小さくまるまってる。
ああ、またドキドキしてきた。落ち着かない。つめたい、伝わってくる感じがつめたい。身体がピリピリする。お母さんがイライラしてる。だからピリピリする。
こわい、ここは暗くてこわいところ。身体が痛い、なにかが突き刺さってくる。痛くてチクチクピリピリする。ここは、こわいところ。
母親の感情をそのまま感じてる。私に向けられている怒りの感情。本来なら、そこは安心していられる場所のはずなのに、身動きできずに委縮してしまってる。
なんとか助け出してあげたくて、大人の自分が声をかけます。どうしたい?
あっちにいるおばあちゃん、あったかそう。私のこと、待ってくれてる。あっちに行きたい。早く会いたい。
(その願いを叶えてあげます)
おばあちゃん。やっと会えた、うれしい!おばあちゃんが抱っこしてくれてる、あったかい。おばあちゃんが、こっち見て笑ってる。かわいいかわいいって言ってる。
(セラピストさんにどんな気持ち?と聞かれて)
“生まれてきてよかった” 初めて出てきた言葉でした。
———-
わたし、すごくおばあちゃんっ子だったんです。おばあちゃんのことが大好きで、小学4年生の時に別れることになるまで、いつもくっついて一緒にいました。おばあちゃんと一緒に過ごした時間は本当に幸せでした。
胎児期に感じてた私の思い。お母さんがイライラしているのは、私がおなかの中にいるから。私はここに存在しないほうがいい。生まれないほうがいい。そんな否定的な感情・記憶が、潜在意識下に埋もれていたようです。
大人になった私のネガティブな思考パターン、”自分は存在する価値がない” という強い思い込み、漠然とした不安は、胎内にいたときに感じていた感情も大きな原因の1つだったようです。
ですがこの時のヒプノセラピーでは、おばあちゃんのあたたかい愛情に包まれて、“生まれてきてよかった”と新しい記憶に書き換えられました。
また1つ、根深い傷が解放されていったかな。
というか、まさか私に胎内でのトラウマがあったなんて、そのことに驚きましたが。
一体、どれだけのネガティブを背負ってるんだろうか(^-^;
まだまだ自分を見つめていく旅、自己の癒しが必要なようです。
潜在意識は必要とあらば、、私が意識していないことも引き出してきて、解決に導いてくれる。そのたびに、どんどん自分の心が軽くなり、楽になっていく。
ヒプノセラピーの奥深い癒しの世界に、ただただ感動するばかりです。
——–
ポニーテールに花柄のリボン。赤と白の水玉ワンピース。私は小さな女の子。ドイツかな?平和な時代のようです。
昼下がりで、隣の家のおばさんが遊びに来ていて、お母さんとお喋りしてます。私は、きれいな絨毯のうえでお人形と遊んでいます。ゆりかごには、赤ちゃんがスヤスヤと眠っています。私の弟です。
お母さんは、お喋りしながらときどき私たちのほうをみて、やさしく微笑んでくれてます。お父さんは大きな船のキャプテン。白い制服を着ててかっこいい!今日はお父さんが帰ってくる日だから、朝からごきげん。早く帰ってこないかな~。
あ!帰ってきた!玄関まで走って迎えにいきます。お父さんがお土産買ってきてくれた。なんだろう?船の模型だ。お父さんが乗ってる船と同じやつ。
やったー!お父さんと一緒に、船の模型をつくります。私はちょっぴり手伝いながら、お父さんが作ってくれるのを見ています。たのしいな~、うれしいな~。両親のあたたかい愛情を一心に受けて育った子供時代でした。
次の場面にうつると30代くらい。大好きな人と結婚して子供が3人います。私はテーブルでくつろぎながら、向こうで遊んでいる子供たちを見守っています。
子供たちの笑顔に囲まれて、家族思いの優しい夫がいて、毎日、穏やかで幸せな時間を過ごしています。
ときどき、昔のことを思い出します。私が小さかった頃、両親は一緒に過ごす時間を大切にしてくれてた、その気持ちが今になってよく分かります。
私のために、たくさんの幸せな思い出をつくってくれた。その記憶が私の心の中で大切な宝物としてずっと残ってる。今度は私も同じように、子供たちに幸せな思い出をたくさん残してあげたい。昔も今も、とても幸せ。
60代になった頃。病気になり、ベッドで寝ています。私の周りには子供たちがいます。夫は、部屋の隅っこで立ったまま、壁にもたれかかっています。
みんな何かを話するわけではないけれど、いつもと同じように残された最後の時間を、一緒に過ごしてくれています。私にとっても、家族にとっても大切な時間。とても幸せな人生だった。最初から最後まで、みんなの笑顔に包まれて本当に幸せだった。と、その人生を終えていきました。
・魂の存在となり、前世の人生を振り返って思ったこと。
とても幸せだった。でも少しつまらなかったかな。。
自分の思い通りにいかないことがあってこそ、人生は色鮮やかになっていく。そのほうが、わくわくする。もっともっと、いろんなことを体験したい。
今の私は、そんな幸せな環境で育ってこれなかった。だから前世の自分がうらやましい。と伝えると、あなたは、既に自分の人生をたのしんでいる。あなたの魂は喜んでる。わくわくして輝いてる。
うまくいかない(と思ってる)ときこそ、その未来に、どんな美しい花が咲くのか、楽しみにしてね。
——–
平凡な日常、ありふれた家庭に対する憧れが強かった私。幼少期から波乱万丈で、自分の人生がずっと嫌だった。ネガティブといえる感情を、さんざん味わい尽くしてきて、その渦中にいるときは本当に苦しかったけど、だけどそこで得た経験が、ヒプノセラピストとしては、大きな財産になっていく。
どんな美しい花が咲くのか、楽しんでいこう。きっと全てが順調なのでしょうから(^^)
そして何度も前世療法を受けてるうちに分かってきたこと。それは自分の魂の歴史やタイプ。けっこうチャレンジャーな魂みたい。
でもヒプノセラピーに出会い、ただひたすら夢中になって学び続けていく中で、自分自身がどんどん癒されていき、心が楽になってきました。
そしてこれからもさらに、ヒプノの深い癒しの世界を学んでいきたい!さらには、ヒプノセラピーを必要とされている方のサポートをしていきたい!と私の気持ちが、徐々に変わってきていました。
それでもやはり、不安や心配や、現実面での問題もあります。自分が目指す未来は見えてきたけど、その途中が見えない。ヒプノセラピストを生業としてやっていくために、私はこれからどんな風に進んでいけばいいんだろう?そんな時に受けた練習セッション、前世療法の体験談です(^^)/
——–
広い家の中、祖父と祖母が近くにいます。 短いくるくるの黒髪に、ブルーの大きな瞳。私はまだ小さな男の子。
両親は、私が産まれて間もなく、宗教がらみの争いに巻き込まれて、亡くなったようです。いくつもの信仰や宗教が入り混じり、争いが絶えない時代。
まだ子供の私は、外出禁止です。一般の住民も、不必要な外出は避けているようです。なにかと不便な毎日でしたが、私は祖父母に守られて、健やかに成長していきました。
20代後半。教会にいます。祭壇の前で、膝をついて祈りを捧げています。父と母のことを。天国で幸せに過ごしていますように。いつもここに来て祈っています。
そのとき勢いよく扉を開けて、兵士が教会の中に入ってきました。私のほうに近づいてきます。ああ・・とうとうやってきたか。
私は兵士に身体を捕まれて引きずられ、教会の外に出されます。他にも何人か、捕まってる人がいます。人々が周りに集まり、同情の目でこっちを見ています。その後、私は兵士に連れられていき、牢屋に入れられました。
殺伐とした空気が漂っています。拷問を受ける者、すぐ殺される者、放置されたまま死んでいく者もいます。
今も昔と変わらず、物騒な世の中で、宗教や信仰をめぐって、日常的に争いが起きています。こんなことしても無駄なのに・・・。心は自由なのに・・・。
その後しばらくして、私は運よく解放されました。仲間たちがお金とコネをつかって、私を救い出してくれました。
50代になった頃、教会の屋根の上に立ってる、十字架を眺めています。
信仰がいくつもある。自分の方が正しいと言いあい、争いが起こる。そして人の命まで奪ってしまう。大元をたどれば、みな1つなのに。争いをなくしたい。世界を平和にしたい。幼い頃に、両親を宗教争いで亡くしたことが、私の人生に大きな影響を与えてきました。
顔も覚えていない父と母・・一緒に人生を生きたかったな。
その後、人生を終えて魂の存在となった私を、白い羽が迎えにきてくれました。
終わった人生を振り返ります。
どうしたら争いがなくなるのか、皆が平和に幸せに暮らせるのかと、自分の頭の中で考えるばかりで、結局、行動に移さなかった。
必要なものは全て持っていたし、準備も整っていた。あとは行動に移すだけだったのに、あのときの自分は臆病だった。
そんな前世の自分から、今世の私へ。“臆病にならないで” とメッセージを送ってくれました。
・マスターとの対話では
(私)この先、どのように進んでいけばいい?
(マ)先のことなんて知らなくていいんじゃないの?
(私)でも知りたい。。。
(マ)先のことなんて分かったらおもしろくないでしょ
(私)それでも知りたい、何でもいいからヒントがほしい
すると、明るく真っ直ぐに伸びている道が目の前に現れました。
先の方は、霧がかかっていて分からない。だけど、その道の周りには、赤、黄、緑、青、紫・・・いろんな色の光がキラキラ、星の瞬きのように輝いています。
なにを伝えてくれてるの?と聞くと、道の中心に「無」という漢字が出てきました。無??? と問いかけると、マスターは「何も考えるな」と。
ああ、なるほど。“心を「無」にして(思考で考えすぎず)やっていけばいい”
シンプルだけど、腑に落ちるマスターからのメッセージでした。
——-
私たちが頭(思考)で考えることなんて、ほんの小さなこと。
マスターの言う通り、先のことなんて分かったらおもしろくないのかも。進んでいくうちに道は見えてくる。大いなる導きの元で(^^♪
最愛なる父との別れは、私の人生の中で最も深い悲しみの出来事となりました。
“喪失は悲しみばかりではない”そのことにも気づくことができました。
だけど、もしできるのであれば、父に会いたい。やっぱり会いたい。会えるだけでいい。
そんな思いを抱きながら、ヒプノの悲嘆療法を体験することにしました。
いつもヒプノセラピストとしてセッションをさせて頂いているので、クライアントさまがセラピー前に、マスターや亡くなった魂に会えるかな。。とご不安になってても「大丈夫ですよ」とお声かけして安心して頂けるよう努めていますが、
いざ、自分がその立場になると、本当に会えるのかな。。会えなかったらどうしよう、という不安や緊張でいっぱい。胸がドキドキ、手が震えるし、落ち着いていられない。半パニック状態の私(+_+)
今回、改めてクライアント側としての、その複雑な心境も思い出すことができました。
——-
ヒプノの誘導でイメージの世界へ。そして、亡き父の魂を呼びます。 ドキドキ。心臓が爆発しそうです。
そこにやってきてくれた父。古びたJeepに乗って、迷彩柄の帽子をかぶり、帽子とおそろいの迷彩の服を着て、いつもと変わらない。あの頃と同じ、笑顔のまま 。
(私のほうは)言葉がでない。胸がはりさけそう。既に涙がいっぱい溢れてくる。やっと会えた。どれほど会いたかったことか。こうして会えただけで、もう十分。
ただそこにいるだけで、心が満たされる。愛があふれる。 言葉にならない再会のよろこびを、しばらく味わいました。
そして、ようやく出た言葉
私 「来てくれたんや?」と声をかけると
父 「おまえが呼んだから来たんや」冗談まじりに笑って答える父
いつものような、自然な会話。
そして、私がずっと気になっていたことを聞いてみることに。「最後の時間、どんな思いだった?」
すると父は、2人が両手を握り、何か(感謝の言葉)を言い続けて、泣きながら別れを惜しんでくれてる。(おまえたちを)育ててよかった。
「お父さんの人生ってどんな人生だった?」
いろいろあった。波乱万丈だった。だけど、(子供を育てて)自分が与えた以上のものを受け取った。“人生捨てたもんじゃなかった”
父らしい言い方。
伝えたかったこと、聞きたかったこと、そして言葉にはならない思い、その感覚、そのぬくもりを自分の五感、全てを使って受け取っていきました。
お別れのときがやってきました。いつもの言葉でお別れすることに。「気をつけて、またね」 またいつでも会えるという願いを込めて。
Jeepに乗って、戻っていく父の後ろ姿に、これからも、いつもいつも平穏でいてくれますようにと、深い愛と感謝を送りました。
長い闘病生活を終えて、ようやく解放された父。今は健康で幸せそうでよかった。
Jeepに乗ってきてくれた、父の笑顔がいつもいつも、私の心の中で感じられます。きっと、これからもずっとずっと。
セッションを始める前から頭が少し重くなり、誘導がはじまるときには、後頭部がしびれる。頭が重い。これはなんだろう?なにか出てきそう。と少し不安に思いながらも、身体に埋め込まれている、ネガティブな感情や感覚の原因を探るために、潜在意識は必要な場面へ導いてくれました。
——–
5~6才の頃の小さな自分。夜寝る前のひとときの、落ち着いた時間。パジャマに着替えて弟と一緒に遊んでるところ。
あ!お父さんとお母さんがやってきた。2人とも顔は笑ってるけど、なんかヘン。嫌な予感がする。
「お父さんとお母さん、どっちが好き?」
ああ・・またこれ聞いてきた。これ聞かれるの大嫌い。小さな自分は、いつも聞かれるたび「わからない」とか「どっちもいっしょ」と答える。だけどまた、しつこく聞いてくる。1人ずつのときもあれば、2人で一緒に聞いてくるときもある。
答えたくない。答えちゃいけない。答えたら何か大変なことが起きる。子供ながらに、不安を感じている小さな自分。
この質問、大きらい!もう聞きたくない!お父さんとお母さんどっちが好き?とか聞かないで!
こらえきれず、ずっと抑圧されていた感情があふれてきました。
(さらに深く記憶を掘り下げていくと)
お父さんとお母さんが喧嘩してる。二人ともすごい顔して怒鳴りあってる。手に包丁を持ってる。怖い。その場で立ちすくみ、ただ見ているだけの小さな私。
2人だけの世界に入ってケンカしている両親に向かって、小さな私は、ずっと言えなかった気持ちを伝える。“けんかやめて” おびえながら必死でうったえる。
私の言葉に、お父さんが気づいてくれた。
小さくなって固まり、委縮している私に、お父さんは「ごめんな、ごめんな」と涙を浮かべて声をかけ、肩を軽くトントンと叩きながら、私の肩の力が抜けるように、やさしくなぜてくれてる
すると・・・肩の力が抜けていく。身体の力が抜けて、ゆるんでいく。ほっと安心。
お母さんも「ごめんね」と謝って、お父さんの隣でうなずいてる。
「もうけんかしないから」という両親の言葉をきいて、小さな私はうれしくて、何度も何度も確認する。
「お父さんとお母さん、どっちが好きってもう聞かない?」2人とも、うんって言ってくれてる。よかった。よかった。お父さんとお母さん、仲良くしてね。
———
「お父さんとお母さんどっちが好き?」の質問は、離婚後の親権をどちらが持つのか、を確認するためでした。小さな自分はうすうすそれを感じていたので、それを聞かれるのが大嫌いでした。
本当はお父さんとお母さんに仲良くしてほしかった。それが、小さな自分の最大の願い。
大人の自分は、それは現実的には叶わないことだと分かっているけど、当時の小さな自分の気持ちは、そのときの感情や感覚を持ったまま、そこで時間が止まってる状態。
辛い過去だけど、勇気を出して思い出していき、置き去りになってた小さな自分の声が、受け止められて癒されていくことで、潜在意識の中で、愛の記憶に変わっていく。
心なしか、肩凝りも少し軽くなってきた感じです!(^^)
図工の時間。イスに座ってクレヨンで画用紙に絵をかいたり、ハサミでなにかの形に切ったり、のりでぺたぺた貼ったり。みんな、それぞれ自由に作ってる。
小さな私も、ごきげんに赤色の色紙を手に取り、ハサミで切ってお花を作ってる。
先生は1人1人のところへ、まわってきて話かけてくれたり、ほめてくれたり、時々手伝ってくれたり。
あ、先生。私のところにもやってきた。
先生は、いつも私の手を変えようとする。左手でハサミを持っている私の手を、右手で持たせようとする。
なんで???他の子にはしないのに、なんで?なんで、私だけダメなの?
それまで楽しく作ってたのに、途中で手を止められたことで、つまんなくなる
(先生の気持ちを感じてみる)
この子は、左利きだから右利きに直してあげなきゃいけない。大人になってからだと直すのがむずかしい、今が大事な時期。お箸とえんぴつは、だんだん右手を使うようになってきて、自分もうれしい。
楽しく遊んでいるところに、かわいそうだと思うけど、母親からも頼まれていることなので、私の一存では決められない。
そこで小さな自分にかわって、大人の自分が、その子がのびのびと自由に遊べるように、先生やお母さんを説得していきました。
(そして再び、幼稚園のシーン)
図工の時間、作るのたのしいなぁ~♪ 左手をつかってても、先生こっちこない~♪ 何も言わない~♪
でも、本当かな? 先生、もしかしたら気づいてないだけかな?と思いついた小さな自分。
先生に見えるように、わざと左手でハサミを持ってみる。わざと、左手でクレヨンを持って書いてみる。でも先生、こっちこない。こっちみて笑ってる。すきなようにできる~♪誰にもじゃまされない~♪たのしいな~♪
“好きなように遊びたい”
その願いが叶って、満足した小さな自分は、美しい光に包まれて、大人の私の中へ戻りました。
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